東京から北海道へ
3月末、学校、友人、職場、様々なところへの挨拶と手続き、再会を約束していざ、北海道の山奥へ。
東京の開花状況を聞きながら約7時間。山を登り、橋を渡り、いくつものトンネルを抜け、道路脇に並ぶたくさんの鹿を目撃しながら到着した山村住宅の周りにはまだ、ずいぶんと雪が残っていました。山の天気は変わりやすく、気温がぐんと上がるような晴天を眩しがっていると、1時間後には雪が降り始めます。瞬時に空も山も雪景色に変えてしまう魔法のような力を感じ、天気一つにこんなに心が動かされることを、ここにきて、初めて知りました。
引っ越しの手伝いのために出迎えてくださった先生方は、なにかあったらいつでもなんでもいってください、と声をかけてくださったのですが、その後に出会う学校や町内の方々みなさんもまさに異口同音。とてもありがたかったとともに、来年は同じセリフを自分が言えるだろうか?言ってみたい!と思うのでした。
さて、我が家が借りた山村住宅は、学校の敷地内にあります。家の 目の前は雪原の校庭、裏庭は鹿が駆けていきます。校庭を子どもたちと散歩していたら、想像以上の積雪で、次男が雪に足を取られて身動きできなくなる事態も。すごいところに来たね〜!と笑い話にする長男をみて、来てよかったなぁと感じます

。まだ学校は始まってないのですが。
山村留学決定
12月中旬、山村留学受け入れ決定の連絡はとても嬉しいものでしたが、家族だけでなく、友人や職場の同僚、上司までが一緒に喜び、この選択を支持してくれたことは、それ以上に嬉しいものでした。
山村留学が決まったことで、長男の気持ちも前向きになり、残りの学校生活も頑張れる部分があるようでした。摩擦なく登校する日が続くと、あえて環境を変える必要があるのか?と思う一方で、フリースクールもサボるような日があると、一日でも早く北海道に連れて行きたいと気持ちが揺れる日々でした。
終了式直前まで、「フリースクールサボるなら山村留学を断るよ!」と長男を追い詰めるようなことを言ってしまう自分自身が本当に嫌になりました。子どもの存在価値を下げるような言動をとってしまいがちであることに自覚はあるのですが、当時はコントロールできませんでした。背景には、固定観念が強くや世間体を気にし、ありのままを受け入れることの困難さが人一倍強いことがあるのかもしれません。

今思うと、子どもの可能性を信じられず、何をやっても変わらないかもしれないと思う母親に対して、この状況を変えようとし、その選択肢を持っていた長男は、よっぽど世界がよく見えていたのではないかと思います。子どものほうが世界を知っていると感じることが、山村留学をしてからよくあります。
本当に行けるのか?
職場に退職の意向を伝えたあと、山村留学の申込書を提出しました。2ヶ月ほど先の受け入れ会議で検討すると聞いていましたが、行けるものだと思い込んでいたので、手順に迷いはありませんでした。ところが、待ちに待った結果を伝える教頭先生からの電話は、受け入れ不可。1箇所しか空いていない山村住宅は他の家族に決まったそう。頭が真っ白になりました。なんとか受け入れてもらえる方法はないかと頭を巡らせていると、大分古い建物だけれど、学校の敷地内に使っていない校長先生の住宅があり、山村住宅に転用できないか教育委員会などにかけあってくださるとのこと。
校長先生のお家といえば、「神様たちの遊ぶ庭」にも出てくる、かつては町内会のみんなで宴会をひらいていた場所です。思ってもみなかった提案に胸がドキドキし、山村留学への期待がさらに高まるのでした。山村住宅転用のためには、文部科学省に書類を提出する必要などもあるそうで、受け入れ結果は年末近くまで先となりました。この間は、もしもだめだったらどうするのか?と地元のフリースクールに通う選択肢などを考えたりもしましたが、長男が活き活きと過ごす様子が思い描けませんでした。ワクワクするほうを選んだほうがうまくいくこと、進むべき道は自然に現れるという考えのもと、ソワソワしながら子どもたちと結果を

待つ日々でした。
見学体験
山村留学を申し込む前には、現地の見学と学校体験が必要でした。
夏休み明けの9月、家族4人で現地に赴きました。北海道はすでに涼しく、見学先はさらに寒いくらいになっていました。
子どもたちは校庭に現れたリスにときめき、ランチルームで生徒と先生みんなで食べたカレーの美味しさにおどろき、全学年一緒の体育には授業とは思えない楽しさを感じ、「僕はどっちでもいい」と言っていた次男も、「山村留学したい!」とすっかり山村留学モードに。
先生方による学校の案内だけでなく、山村住宅の見学、山村留学をされているご家族や地元の方に直接お話を聞くこともでき、母親のわたしもすっかりその気になりました。半ば母親が勝手にすすめ、たいして情報も与えられず不安を吐露していた夫が、おもしろそうだと感じてくれたのには、安堵しました。
「神様たちの遊ぶ庭」の舞台に実際に行けただけでも夢が叶ったような感覚でした。もしもこの世界に自分たちも加わることができたらどんなに楽し

いだろう。帰った翌日、職場に退職希望を伝えました。このあと、1軒しかない山村住宅の抽選に落選することも知らずに。
本好きな少年の人生を、一冊の本が変えた
長男は本が好きです。保育園の先生からは、「集合の声掛けをしても、一人で絵本を読んでいて来てくれない」と苦言のような心配をされたり、家でご飯を食べるときも、常に本を片手に持っており、「せめてご飯のときくらいは本を読むのをやめなさい」が母親の口癖でした。
案の定、小学校入学後は、集団行動を苦痛に感じ、早い段階から行き渋りがありました。母親に時間的·心理的·経済的余裕がもう少しあれば、登校を無理強いすることもなく、本人ペースで物事を捉え対応することができたように思うのですが、当時は日常を大きく変えることはできませんでした。

とはいえ、なんとかしないとお互いの心も人生もつらいなと思い、状況を変えるための選択肢として考えたうちの一つが山村留学でした。同じく集団行動や人付き合いが苦手だった母親には、幼少期より、夕方のニュースなどの特集で見聞きしたことがある、喧騒から離れた山の中の小規模校で過ごす山村留学に憧れがあったのです。
山村留学を検索してヒットしたのが、宮下奈都さんの「神様たちの遊ぶ庭」でした。北海道に山村留学する家族の1年間を綴ったエッセイです。タイトルに心を鷲掴みにされ、装丁に心が躍り、すぐに購入しました。
長男に読んでほしいなと思う本を家に置いておくと、関心があるものは、繰り返し繰り返し読みますが、そうでないものは、数ページ読んですぐに見向きもしなくなります。親のあざとさが透けて見えるものは特にそうなる傾向があります。
今回はどうかな?
心配をよそに、宮下さんのその本は、長男が3年生から5年生までの間に何度読んだか分からないほど、たぶんこれを人生のバイブルと言ってよいほど、寝るときもそばにおき、みごと心のベストテン第1位(本人に確認したことはないけれど)になりました。
大げさでなく、長男の心の拠り所になってくれていたのが神様たちの遊ぶ庭の世界でした。
エッセイを手にしてからの長男は、学校生活がしんどいときには、家で一言も発せず、声かけにも応じずにその世界に没入し、ことあるごとに、「山村留学したい」と言うようになりました。母親はというと、たしかに山村留学したら今の状況を変えられる、そのことが長男にとってよい影響をもたらしてくれそうだ、わたしも行きたい!と思うものの、現実的に今の仕事はやめていいのか?(仕事の面白さを感じているところ、子育てが落ち着いてきたので本腰を入れたい)、やめたら生活できるのか?(夫の収入だけに頼ってやっていくのは短期的には可能でも、先を考えると難しいのではないか)、山村留学後は今の生活に戻ってやっていけるのか?(結局1-2年して元の生活に戻るなら、さらに学校生活に馴染みにくくなるのではないか)など現状維持をするための思考回路がぐるぐるしていました。その点長男は、「(北海道は遠いが、近場の学校ならなんとかなるかもしれないと考え)エッセイの学校じゃなくても山村留学なら場所は違ってもいい?」という母親の妥協案について、「そこじゃないとだめ」と意志が明確でした。近県の山村留学をやっている自治体からパンフレットを取り寄せて見せても、全く関心を示さないのでした。
いつも自分の考えがはっきりしていること、それが道標になるような言葉の力が長男にはあります。おかげで、わたしの決心もつきました。コロナ禍を経て2年ほどかかりましたが。
山村留学はじめました
小学6年生と2年生の息子と北海道の大雪山国立公園内の山村住宅に転居してから、早くも3ヶ月が経ちました。
大自然に驚き、住んでいる人たちの力強さと寛大さに驚き、子どもたちの変化や成長に驚いていたら、さすがにわたしも何かしたいなと思うようになりました。そこで、ブログを書いてみることにしました。
ブログを書こうと思った理由は、3つ。
1つ目は、子どもたちがいつか自分たちの成長を振り返る材料になるために。
2つ目は、山村留学をすることを支持してくれた、離れて暮らす家族や友人たちに暮らしの様子を伝えるために。
3つ目は、体感する子どもたちの成長や大自然、そこに暮らすひとたちとの交流を自分の言葉で伝えられるようになるために。
来た時は真っ白だった窓の外も、今は生命力溢れる緑に包まれています。

世の中の変化は早い。子どもの成長も早い。私の記憶の忘却スピードも早い。
変わっていくこと、変わらないこと、変わったほうがいいこと、変わらないほうがいいこと。ここにいると、わたしも本当に大切なことに気づき、行動できるようになるのではないかと思えるのが不思議です。
少し遡りつつ、リアルタイムに追いつけるよう、書いていきたいと思います。